1997年10月29日水曜日

福島県郡山市にお住まいの吉成ミナ子さんからの相談。


 この前仙台の人に「福島は田舎じゃねーか!!」とバカにされてしまいました。どうすればいいでしょうか?ちなみに私の住んでいるところは、郡山と言う都会的な場所です。

おこたえします。

 まず、吉成さんの文章をもういちどよく読んでみましょう。
 文末には「福島は田舎ではない」という主張が感じられます。もしくは、「福島は田舎かもしれないが、少なくとも私の住んでいる郡山は田舎ではない」といいたいのかもしれません。
 いずれにしても、吉成さんは「福島は田舎じゃねーか!!」という仙台の人の言葉に不快感をもっているわけです。

 そもそも、都会と田舎をどう区別すればいいのでしょうか。「人口何万人以上が都会」とか、「地下鉄が走っていうのが都会」とか、はたまた都市ガスが通っているのが都市でLPガスの所はそうではないのかなど、考え始めるときりがないのでここではあまり深くは追求しません。
 しかし、仙台市は政令指定都市であるという点においては福島県内の各市とは、はっきりとしたちがいが存在するわけです。

 ここで、政令指定都市について、埼玉県浦和市のホームページに「政令指定都市へ向けて」と題してわかりやすい説明がありましたので引用してみましょう。


政令指定都市とは?

 「地方自治法」では、政令指定都市は、「政令で指定される人口50万人以上の市」と定められています。
 政令指定都市は、道府県の区域に包括される市ではありますが、一般の中小都市とは異なる取扱いがされています。
 政令指定都市制度とは、大都市特有の行政問題の解決の方策として考えられたものです。都市に人口や産業が集中すると、市で対処しなければならない行政需 要が増大し、広範多岐にわたる行政サービスが必要となります。一般の市と同じシステムでは対応しきれない面が現われてくることから、大都市に相応した権能 と財政力が付与されることによって、事務の効率性を高め、市民福祉の向上を図るための制度です。

 なるほど、政令指定都市ともなるとある程度の基準があるわけです。そして、浦和市は政令指定都市になることを目標としているわけですね。がんばって欲しいものです。

 さて、問題は「都会であること」が「田舎であること」よりも、はたしていいことなのかどうかです。人それぞれ、価値観の違いがあるのは当 然のことです。田舎から都会へ憧れ、移り住む人もいれば、逆に都会の喧噪から逃れて田舎へ来る人もいます。しかし、多数決的な意味でのスタンダードな意識 として、田舎よりは都会である方がよいように思われているように思います。事実、都会には他の地方からも人が集まってくるところなのですから。

 都会には人々が集まる魅力があります。人々の求めているものがあります。
 もっと、単純にいいましょう。都会には金が転がっています
 ある人はそれを掘り起こそうとして、またある人はすでに掘り出されたものを獲得しようとして都市に集まって来るのです。
 逆の例だってあります。「ゴールド・ラッシュ」-金さえあれば、何もない荒野にだって街はできてしまうのです。

 都市について考えるのはこのくらいにして、そろそろ吉成さんの今後のあり方について考えなければなりません。
 福島は吉成さんの住んでいるところなのですから、吉成さんが、「福島は田舎じゃねーか!!」という仙台の人の言葉に不快感を覚えたのは当然のこ とです。仮に、この仙台の人が「青森は田舎じゃねーか!!」と言ったとしても、「福島は田舎じゃねーか!!」ほどに不快には思わないことでしょう。この場 合は、青森県民である私の方が不機嫌になってしまうことでしょう。
 人は、自分の住む土地に対してかなりの思い入れがあるものです。単に都会であるか田舎であるかだけに限らず、街の環境やその他様々なことについて、よその土地と比べて優越感やコンプレックスを感じながらも、結局は「自分のところが一番」と思っているものです。
 決してそれは負け惜しみや諦めといったものではなく、だれもが自分のできる範囲で自分の住んでいる場所をよくしようと何らかの努力をしていると いうことへの誇りであると言えるでしょう。また、恋人にせよ家族にせよ、愛すべき人がいる場所は誰にとっても特別なものに違いありません。
 そのような特別な存在を他人に批判されたら腹が立つのは当然のことです。よそから来た人がTVなどでインタビューを受けるときに、よく「○○ 県に来てみて、印象は?」といった質問をされますが、その土地を悪くいう人はまず見たことがありません。いうまでもなく、瞬間的にその土地の住民全員を敵 にまわすことになりかねないからです。
 芸能人や政治家といった著名人はなおさらのことですが、プロ・アマを問わず、ご当地批判は殺人騒ぎに発展してもおかしくない程の御法度なのです。

 吉成さんがどうすべきか、これでわかったと思います。大いに怒るべきです。仙台の人にその怒りをぶつけるべきです。そうしなければ、福島全県民が吉成さんを決してゆるさないでしょう。これは、大げさでもなんでもなく、立派な民族意識の問題なのです。

 高校野球を思い浮かべて下さい。多くの人が、地元の高校、あるいは自分の出身校が県大会で健闘することを願っています。残念なことにその 高校が負けてしまったとしても、今度は甲子園での自分の県の代表を応援しています。たとえ、それが県大会で自分の応援していた高校のライバル校だったとし ても、自分の県の代表に「負けてしまえ」という人はそうはいないはずです。
 このあいだまで自分の応援するチームのライバルだったのに、今度はそのチームを応援したりして、見方によっては調子のいいようにも思えます。 しかし、自分の属している土地(街単位、県単位から国としての規模に至るまで)の代表を応援する気持ちは、極めて純粋なもののように思います。
 見たこともない全然知らない人でも、日本代表としてオリンピックかなにかに出場していたら、やっぱり応援してしまうじゃないですか。
 個人主義、薄情になったといわれて久しい日本人ですが、まだまだ捨てたものではありません。


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